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2006年01月24日

子供たちの環境

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 山村留学でこの町に来た子供たちは、実に濃厚で有意義な時間を過ごしている。
 子供たちは、ノー・ボーダーだから、すぐに仲良くなる。というより、無理にでも仲良くならないと、悲惨な学校生活となってしまうから、よい訓練と私は思っている。特に私の娘は角がとんがっているから、周りには申し訳ない気持ちでいっぱいだ。「限られた条件で、たくさんの工夫をすること」をさせたかったから、今のところよい方向に進んでいると思う。
 たとえば、野球をしたいけど、田舎だから人数が足りない。やりたくない男の子を勧誘したり、女の子に声をかけたり、練習方法を工夫したりと、色々な壁にぶつかるだろう。指導者が必ずしも専門とは限らない。だから先生と生徒が一緒に研究したりするだろう。
 たとえば友達と遊ぼうにも、何キロも歩いていかなければならない。あちらさんの家庭では、あちらさんの生活の決まりがあるから、それを深く勉強することができる。道端には自然がいっぱいだから、いろいろ観察力もつくだろう。ジャングルジムやブランコなんかは当然ないから、遊び場と遊び道具は自分たちが自然の中で用意、調達しなければならない。
 学校では、一人一人のキャラがたつ。集団の中に消えることができないから、都会によくありがちな、無気力・無関心・無感動といったこととは無縁だ。責任の回避が一切できない。
 しかしいいことばかりではない。都会の毒素をまったく吸引しないまま大人になるから、どこかでそういった経験が必要になるだろうとは思う。わざわざ作ってやる必要もないが、今はメディアが発達してるから、あまり心配はしていない。さしずめネットでも教えてやるか(笑)。
 一番の収穫は、なんだろう?私、妻、娘、それぞれ違いそうだ。
 
 

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Posted by t@sora at 13:44│Comments(3)山村留学
この記事へのコメント
何もないのが当たり前であった当時は、自分で工夫して遊びに変化をつけていたように思います。スキー一つを取り上げてもどこそこのスキー場に連れてって、なんて考えもしなかった。それこそ道端の雪山がスキー場に早変わりしていた。車の心配は親にはあったと思えるが。でもたかだか10m位のスロープでは飽きがくる。で、ミニジャンプ台を作って遊んだ。疲れてくるとスキーを脱いでかまくら作りをした。トンネルを掘り迷路みたいにぐにゃぐにゃと伸ばしていった。しまいにはトンネルが崩れ元の木阿弥になることもしょっちゅうあった。以外と怪我をしたことはなかった。子供心にこれ以上はやばい...と自制心が働いたように思う。かまくらの中でろうそくを灯し秘密の隠れ家を作っていた時、火を使った事で怒られたことがあった。当時親達は、火事が一番の心配事だったのだろうか。
Posted by 北の旅烏 at 2006年01月25日 09:04
そういうことを経験させたいだけなんですよ♪そんなえらそうな理論を掲げようとか思ってなくって、ただ、「子供心に」色々と体験吸収して欲しいなと。。現代では、公園で砂遊びをしようと思ったら、なぜか命がけです。親からは注意注意の嵐です。知らないおじちゃんは悪い人。誰々ちゃんちは行っちゃだめ。危なくないように、怪我しないようにと。どうしてこんなんなったんですかね?
Posted by ayappi at 2006年01月25日 10:54
何人も子供がいると一人くらいやんちゃな子がいてもあと2人いる。病気になると心配はするけど他の子の面倒も見なくてはいけない。風邪程度だったら多少放っといても治る。そう思わなかったら母親なんてやってられない。そういう時代だった。
モノを買い与える時でも何人分の出費は痛い。で、誕生日かクリスマス以外は買わない。子供もその辺のところを知っていてダダをこねなかった。怒られるだけだったしね。家の中を見れば裕福な家庭か否か子供だって分かる。我慢しているのは自分だけでないことが歴然としていた。
だから、誕生日がとても待ち遠しかった。年に1回なんて言わずに何回もあって欲しかった。この特別な日は、イコールおねだりのできる日だったから。有り難みがあった。
今の子供は欲しいとなると、いや欲しがるだろうと先に親が手回して買ってしまうのでは...。もうお腹一杯を通り越す位の何でももらえる精神状態を子供の時に身につけてしまうと、大人になって社会人になり会社という組織の中に入った時、どうしていいいか分からん人間になっている。欲しいものを誰もくれはしないからね。
自分で得る努力をさせてもらえなかった反動がここで表れる。また、忍耐も当然も持ち合わせていない。後は押して計るべき...か。
大事に育てる事って過保護と違うと思う。親の元を巣立っていけない子供を作っているとね。親が子になめられたらアカンと思うのです。父親は絶対なのです。子供が親に勝とうなんて50年は早い!とは言えんか...だはは。(^^;)
私の怒り方は半端でないので子供は敏感にその辺の所を察知しているようですが、あと2・3年もすると逆転するかも知れないな...。(汗だく。^^;)
Posted by 北の旅烏 at 2006年01月25日 14:06
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