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2007年07月28日

介護の対価

介護の対価

  利尻ヒナゲシの咲く利尻富士の海岸沿いに、1万坪の土地を見てきた。家もいくつかあり、どれに住んでも2万円の家賃でいいという。買うなら豊富市街地の400坪の土地を付けて、1千万でいいともいう。「友情価格だ」と、その老人は語った。ん?なんか話がずれてるぞ?

 利尻の土地は、コテージなどを置いて、民宿や何かをやりたいと彼は言った。身よりはなく、独居だ。「私がぼけてきたら、面倒を見て欲しい。しかるべき施設に入れてくれればいいから。残ったものは全部譲る」とのこと。

 無理無理(^^;

 田舎暮らしはこの町でもうすでに満喫している。家賃だってタダ同然だし、収入もとりあえず確保できた。それをいまさら全部捨てて、利尻や豊富に移住できるわけが無い。デメリットばかりが目立つ。
 死んだら土地をくれるって言ったって、活用の出来る場所ではない。無理して使うならグループホームを起業するくらいだが、私は当たり前だが法人格をもってない。町のHPにいってみれば分かると思うが、土地付きの家をタダで斡旋しているような地域だ。民宿、といっても夏だけ。冬は仕事が全くなさそう。ここで生活の基盤が築けるわけが無い。
 ボケたら施設へ?甘い甘い。認知症が始まった人の介護は、実の息子、娘でも難儀なもの。それをましてや他人などができるようなものではない。ぼけてきたら最初に私を忘れるだろう。短期記憶がなくなるからだ。つばを吐きかけ私を泥棒呼ばわりもするだろう。それにそのころ施設が空いているとはとても思えない。稚内の特養は、今でも200人待ちの状況だよ?200人っていったら、生きているうちに順番は回ってこない数字だ。介護度が上がるまで何年も面倒見なければならなくなるんだよ?もちろん、介護度が上がったら、死ぬほど介護側の負担が増えるわけだ。

 「起業したい。アイデアを欲しい」というから私は心が動いたわけで、私がこの地を離れてどこかへ行くと言うのは、現段階ではありえない。仕事がなくならない限りは。

 東京の老人ホームでは2000万の財産があっても、施設は入所を断ると聞いた。あと20年は介護をすると考えるからだ。もし、「私に全部面倒を見て欲しい」というなら、家賃2万ってのはどういう意味なんだろう。資産家な様だったが、例えば「○千万を前払いするから、3年間介護を頼む。仕事も用意するし、家賃はいらないから」ってのが介護現場の私にとって普通な感覚なのだが。。

 介護はボランティアじゃない。体系のあるちゃんとした仕事だ。実の息子、娘でさえ、その介護の辛さから親の首に手をかける世界だ。この老人の考えが甘すぎるとは決して言わないが、介護の現状は理解しているとはとても思えなった。自分の未来が見えていないということ。

 教育の世界でも書けないことが沢山あったが、介護の世界もこういった公のところでは書けないことだらけ。それって、一般ピープルの私たちの責任じゃないよ?ちゃんと考えて欲しいな。

 まぁ、こんな機会でもないと、利尻・礼文にはいけなかったから、それはそれでいいか(^^;
 

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Posted by t@sora at 04:28│Comments(6)老人介護
この記事へのコメント
ayappi様

「起業したいからアイデアが欲しい」
のはずが・・・
 確かに話がずれてますね。
 細かいところはわかりませんが、そのシチュエーションでは中途半端なお金のかけ方をしても事業は成立しないでしょうね。思い切った投資ができれば活路はありそうですが・・・
 (まあ、コンサルという観点から言うと、まず条件をマッピングして事業定義を試みる必要がありますが・・・)
 でも、文面から拝察するに、その方はどうも物惜しみする性質(たち)のようですから、難しいですね。

 この数日、司馬遼の「項羽と劉邦」を寝物語に再読しているんですが、ラストのほうのクダリは何度読んでも感動(というと言いすぎかな)します。
 最後の局面(韓信と彭越の参戦が必要なのだが、ふたりは様子見している)で、張良に言われて劉邦が無欲に目覚めるところです。
「天下を韓信と彭越に呉れてやってもいいということだ」
「わしは、沛(劉邦の故郷)に帰るのか」
 この思い切りによって韓信と彭越は参戦し、劉邦は項羽に勝ちます。
 すべてを他人に呉れてやってもいい、と思い決めたところに活路が生じた場面です。
 (後で、韓信と彭越は粛清されちゃうんですけどね)

 なぜだか、この場面が昔から気に入ってるんですな。
 老後のことも介護も、それに荒地で起業するのも、頼む相手に何もかも投げ出す気分がなければなかなか得るべきものは得られないものです。
 ほんとうに投げ出すのは聖人でもなければ無理ですが、「気分」は持てるはずです。まさに
「○千万を前払いするから、3年間介護を頼む。仕事も用意するし、家賃はいらないから」
 という気分です。

 資産家らしいとのことですが、一般的にも、事業家でない資産家は物惜しみする性質が強いようです。たいがい上手く行きません。
 老後を誰かに託したいのか、不安だから事業を起こしておきたいのか、そのあたりも腹をくくれないようでは・・・ね。

冬野
Posted by 冬野由記 at 2007年07月28日 10:34
 取り敢えず、利尻富士町の福祉課と担当保健師さんには、詳細を伝えてきました。今後の話の詰めも含めて。
 まぁ、その条件でも、行く気はないですがね。かけがえのない今の人間関係を捨てるわけにはいきませんから。こちらはお金には換算できないものです。
Posted by ayappi at 2007年07月28日 13:44
私が利尻・礼文を訪れたとき、タクシーの運転手さんから「あなたがこの町に住んでくれるのなら、あの岬の家、どれでも好きな家を差し上げますよ。」と言われました。
7月でさえ、冬の厳しさが想像できるような場所で、私に何をして食って行けと言うのだ!?と頭を抱えたものです(笑)
今でも、あの運転手さんは、どうなさっているのだろう?冬には、何で生計を立てていらっしゃるのだろう?と思いをはせることがあります。

今の私は、父とみのりと私の生活を守るのに必死で、自分の老後など考えたこともありません。
考える余裕がないと言ったほうが正しいかもしれません。
しかし、職業柄か、仕事でお目にかかるご老人がたは、裕福なかたが多いのです。
ある程度の都会に住んでいる富裕層は、「サービスを受ける=お金を払う」と理解していますが、ウチの父などは、多分理解できていないと思います。
「サービス=無料」だと思い込んでいるのです。
私の職業もサービス業です。
日本と言う国は、だいたいが、サービスにお金を払う意識が低い国なのだと、ここ数年で痛感しています。

長々と書いたのに、何が書きたかったのか、わからなくなってしまいました(^^;)
すみません。
Posted by うさぎ at 2007年07月28日 16:10
 核家族が中心の現代では、親の介護を身内がするのはもう非常識なんです。それをうさぎさんは肌で感じてるんじゃないですか?だから不安感が強いんですよ。今、父親が脳梗塞で倒れて介護が必要になったら、今までのように会社の付き合いで飲み会にいったりなんて出来なくなります。朝から晩まで介護が必要になった父親を抱えて、今までと同じ生活はもう不可能です。そしてうさぎさんが施設を考えます。けれど年金だけじゃ足りない。父も、脳梗塞というだけでぼけてるわけじゃないから施設は嫌だと言う。国の方針が在宅だから、ワーカーも在宅を勧める。うさぎさんに選択の余地はありません。ここでうさぎさんの人生が変わります。
 もうこの国は、自分の老後まで含めて自分の人生をコーディネートする必要があるんですね。でも、誰もそれを認めたくないから臭い物に蓋をしている。今に一気にその蓋が開いて、とんでもないことが起きるかもしれません。

 準備が必要なんです。話し合いを今からしておくことも・・・。
Posted by ayappi at 2007年07月28日 21:17
母親と父親が両方入院して
嫁のセリフ
「もしお義理母が亡くなったら義父さんの面倒はみられない」
この言葉は切実でしたが、すでに親父は癌が転移しており、その手術はできない状態で親父が生きて病院から帰ることは無かったんですけどね

母親もそれを見越して、裏工作をして親父を入院させたようで、奇しくも母親の心臓手術が成功した翌未明に親父は逝きましたが

なんか人生の終わりを迎えるにあたって、現実を見なければいけないと分かっていても寂しいですね

人間、足が衰えるとダメですよね、親父を見ていて痛感しました。4月から駅まで約2キロを歩いて通勤してます(笑)
Posted by edosin at 2007年07月30日 08:45
 施設で働いているとよく分かります。衰えは「足」からです。腰や腕や視力も大事ですか、「足」にくると、人間の能力はガクッと落ちます。まるで別人のようです。

 老いて死を迎えることを、「いいことなんだ」と思えない限り、人は死から目をそらし、いざと言うときに困るのだと思います。
Posted by ayappi at 2007年07月30日 09:22
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