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2005年06月20日

たまには思い出してみるか

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争いごとはもうこりごりです

 10年くらい前のある日、卓球を教えてくれという女子生徒が私を訪ねてきた。私はその時バスケット部とシンセサイザーを教えていたので断ったのだが、その生徒の熱意が本物ならと思いなおし、あらためて条件を出した。それは、
? 部員を4人以上集めろ
? どうせやるからには全国大会を目指す。だから土日も練習でつぶれる
というものだった。
 結果彼女は見事に部員を集めて私の前に再び現れた。他のメンバーもやる気満々だと言う。だから私も約束を守り、全国大会へ連れて行った。
 練習は地味な基礎練とランニングが主体だ。休日は、午前中は練習試合、午後は学校へ戻って特訓、なんてことは当たり前。強くなれるかもしれないことは全部やらせた。人間好きならとことん出来るものだ。
 しばらくすると、ポツリポツリと生徒が退部していった。表向きの理由はどうどうと監督批判だ。しかし本当の理由はわかっている。私も分かっているからその子達を責めたりしない。
 最後には、その女子生徒とマンツーマンでの指導となった。やめていった部員を横目に、その生徒は東京都三連覇、全国大会最高ベスト8という結果を残す。
 するとどうだろう、やめていった生徒の親や、指導方針の違いで顧問を降りた教員から、パッシングや攻撃が始まった。「またか」と私は思った。以前にも違う学校、違う部活で同じことがあったからだ。そのパッシングがあんまりにも酷かったので、私は異動した。異動させられた、といってよいだろう。戦う方法はいくらでもあったが、「疲れた」のだ。何の未練もない。

 邪魔だったんだね。

 その後、私の一番信頼している先生にあとを任せることになったのだが、彼女は決して負けることなく、前述のような結果を残せた。その先生には心から感謝しているが、今は伝えるすべもない。
 うわさで伝え聞くところによると、彼女は今年、母校で教育実習をするらしい。ちょっと複雑な気分だ。

 人には、本当に醜い闇の部分がある。うらみ、ねたみ、嫉妬。何も行動を起こさなければ、何も摩擦は生まれない。だけど、当時の私は若かった。若すぎたのだ。人の暗闇の深さや恐ろしさを理解していなかったんだね。


 物事には光と影がかならずある。今、かみしめている幸せの裏で、不幸がひたひたと歩み寄っているかもしれない。

 

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この記事へのコメント
 ここにそのいい例がおります。私は1948年生まれ。世間が言う団塊の世代の真只中に生まれました。
 ようはその人間が自分の持っている環境を捨てる覚悟があるか否かだと思うけど。
 しがらみで生きているから...だとか、家族の事を考えると黙認してしまう...だとか。それって言い訳でしょう?自分のアイデンテイテイーの確立が出来てないのに主義主張は言える訳がない。ただの口実に家族をダシにつかっているだけ。
 自分の弱さを悟られないよう、隠れる場所を最初に確保してドアを開け、すぐ逃げれるようにしている。この手の人間ごろごろしている。
 まっ、これが社会なのでしょうがね...。
 旨い汁だけを手に入れよう、汗はかきたくない、手足がよごれる仕事は人任せ、命令系統のみに敏感でお客様に顔が向いていない。上げたらきりがない。一番始末におえないのが「人が見てなければ何かしでかす人間」。これも年令に関係ないのだが。
 親のふり見て我が身を直せ・・・なんてね。ははは、阿呆らしい世の中。そんな家庭環境で育ったガキに他人の言葉を咀嚼することの意味は伝わらない。
 ケースバイケース。ティーピーオー。これって本来いい意味の言葉。それを解釈おかしくしている大人達。つまり自分の都合の言い様に変えてしゃべってる。子供がまねしちゃうの当たり前。らくですもん。これって・・・。(^^;)
 私はゆるさんもん。
Posted by 北の旅烏 at 2005年06月21日 05:08
昨夜、ここで書いてきたわたしの文章を読み返していました。何度目かしらん...。
Posted by 北の旅烏 at 2005年06月21日 05:12
 私も後ろのドアを開けておけばよかったと思うことがあります。
 虐待、少年犯罪、ドメスティック・バイオレンス、昨日の東京の爆発事故。これらはいったい誰の責任なんですかね?
Posted by ayappi at 2005年06月21日 06:53
 しなかったから今の心のゆとりが生まれ、そして育ってるのではないですか。ayappiさんを羨ましいと思う人無限にいます。このせまい日本には。
思うだけは自由ですもん。行動に移れないから「あこがれる」。でもここで思考は止まります。だって日常のしがらみにむかって電車にのって会社やお役所のドアをくぐらねば「おまんまの食い上げ」。ローンも老後も消えて無くなる不安に潰されちゃいます。だからと言って「山村過疎村」へ移住する勇気は「はかり」にかけなくとも...です。
 いろんな人生があっていいと思います。できないからって恥じる事もいらない。でも心で思ってることをひた隠しにして本のページをなぞっても解決法法は生まれないってこと。行動に移す原動力は家族の絆かもね。そんなことふと思ったりします。

 誰の性にしても解決策は生まれない。と思います。自分のまわりの環境ぐらいは自分の手でよくしようと考え、実行しています。
Posted by 北の旅烏 at 2005年06月21日 07:43
私の兄と兄嫁は現役の都立高校の先生です。
もしかしたらayappiさんとどっかですれ違っていたり、同じ職場だったりしていたかもしれません。
さらに、お恥ずかしいですが私は教師を志して挫折しております。

ちなみにうちの兄は、一時期円形脱毛までなってしまっておりました。それほど教師という職業が過酷なのかと痛感し、なれなかったことに安堵したり、いやそれは言い訳だろうと自責の念にかられたりしました。

ayappiさんの文章を読むと、まさにノンフィクション、今の教育現場の実態が知らされて恐ろしいと感じます。
ただayappiさんが一生懸命であるが故にそうなのであって、事なかれ主義に教頭試験・校長試験の合格をひたすら目指し、アルバイトにいそしんでいればきっと田舎暮らしも、このブログの出会いも無かったと思います。

私はayappiさんより少し年上ですが、「教師」「田舎暮らし」という、自分ができなかった事を経験されている。
口幅ったいですが、「憧れ」いや「ファン」なんですよね(笑)。

仕事を始められて、大変なようでしたら週イチでも月イチでもかまいませんから記事書いて下さい。待ってますから。。。
Posted by edosin at 2005年06月21日 14:32
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