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2006年04月29日

そして私は途方にくれた

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 私が教員一年目の最初の授業は、体育館にポツリといる一人の珍しい苗字の自閉症の子との出会いから始まった。

 彼女は一言もしゃべらず、ピクリとも動かない。だから名前を聞いても答えないし、ラケットを持たせようと思っても動く気配すらない。腕組みをして変な時間を過ごして、私の教員最初の授業は終わった。
 給食に無理に連れて行くと途中で吐くし、休み時間に本を読んでいるから声をかけると、緊張から汗だくになり、鼻水が止まらない。しかし教科書を読めというと、朗読はしてくれる。

(??;

 しゃべらないけど本は読んでくれる。そんなだから彼女の行動基準には、教員側はいつも対応できずにいた。美術の時間では、黄色い毛並みで目の赤い猫を描き、社会のテストでは、スカンジナビア半島を京浜地方と答えた。私に強い洗礼を与えたその彼女も、それでも無事に卒業だけはしていった。

 その数年後、おなじ苗字の女子生徒が受験してきた。もしやと思った私は、不謹慎にも受験している彼女を見物しにいったのだが、想像に反してその子は派手な格好をしていた。爪にはマニキュアをして、生足にアンクレット、髪も現代風なスタイルだった。
 私は、面接で偶然その子にあたった。家庭環境や志望動機、趣味や特技など、笑顔を交えながら滞りなく面接が進んだので、私は最初の不安な予感を忘れていた。そしてもう一人の面接官が最後の質問をした。「お姉さんはもしかしてここの卒業生ですか?」と。
 
 彼女はそれ以降、口を閉ざし、誰ともしゃべらず4年間の学校生活を始めた。それはそれは壮絶なバトルだった。

 林間学校では倒れて病院に運んだが、しゃべらないのでどこが痛いか分らず、病院を転々とした。家庭訪問では、引越し先を連絡してくれなかったから、あとを付けるしかなかった。今なら怪し過ぎて通報されたかもしれない。一言もしゃべらないのに朗読はしてくれたから、こんなところもお姉さんに似ていた。

 事件を書き出したらきりのない彼女も、それでも卒業だけは無事してくれた。しゃべらないだけで、学力はあったからだ。
 そんな彼女の卒業式のあと、職員室に戻った私の机には、分厚い大学ノートが4冊置かれていた。それは彼女からの置き土産だった。そこには、私が弾き語りをした新入生歓迎会から始まる、4年間の思い出がすべて詰まっていた。何故しゃべらなかったのかの理由も書かれていた。全職員が自閉症と思っていた子は、聡明で知的な女性だったのだ。


 あれから15年。理解してくれる旦那さんを見けられたかなあ。相変わらずしゃべってないのかなあ(^^;

 

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この記事へのコメント
人間がコミュニケーションをとる手段として言葉が生まれ会話が成立し、相手の考えの一端が読み取れます。何が心を閉ざす原因なのか分かりませんが、きっとその子は安住の地を見つけることが出来たなら言葉は自然に口から出るのでしょうね。
Posted by 北の旅烏 at 2006年05月01日 07:39
な、姉妹でした。
その後の消息を知らないので・・・。
ただ、自分の意思でしゃべらないようにしていたことだけは事実です。
Posted by ayappi at 2006年05月01日 20:59
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