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2006年02月03日

人という化学反応の終わりに

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 人はどうして苦しみながら死んでいくのだろう。罪と罰、それを業というのなら、人はどんな過ちを犯したというのか。
 いきとしいけるものは必ず死を迎える。死んだらおしまいだ。何千億円稼ごうが、それを天国までは持っていけない。
 あるいは地獄か。

 死後の世界を畏怖するから、哲学や宗教が発達していく。中には胡散臭い占い師や霊媒師みたいなものもいて、人が「死」に恐怖する心を利用しているのにはちょっと辟易する。
 死後の世界を見にいってきた人はいない。蘇生したものが、川やお花畑を見てきたという報告はあるが、酸欠状態の脳は、幻覚を起こして苦痛を和らげようとするから、その辺の論議は学者の間では完了している。
 だから、誰も見に行っったことがないあの世からのメッセージを、あたかも見てきましたという顔で商売している新興宗教家や霊媒師なんかは、ちょっとお茶目だ。
 
 失礼。。

 ならば開き直って、「どう生きるか?」を考えるのが一番賢いのではないか。死後の世界は分らないのだから。
 死後、どんなに立派な墓に入れられても、私は何も感じない。勲章をもらおうが、英雄になろうが、死んでいる私にはなにも届かない。まだ、死は身近に無いが、私は風葬を望んでいる。墓はいらない。残された家族にとって負担になるくらいならだ。仮に・・・墓用のお金が残っていたなら、残された家族に問題が無ければ、奨学金制度や医療、介護、そんなところに使われることを望んでいる。
 
 そりゃ、老後のことを考えたら、ある程度のたくわえは必要だろう。60歳までに、不動産と1000万程があれば、安泰な老後を送れるだろうか。年金は期待できないだろう。
 しかしそれは幸せか?それで満足のいく死を迎えられるだろうか?老後は、人生の終わりなのか?

 私は・・・私のこだわりとしては、人は快楽追求と、創造の生き物だから、私は死ぬ直前まで何かを求めていたいと思う。何かを造る。あるいは創る。教育、制度・・・色々あるだろう。それによって私の意思が残る。それが私の望む快楽であり、満足のいく死だ。名誉や名声が欲しいわけではない。肉体や魂は滅ぶが、意思は引き継ぐものがいれば、それは永遠と同じだ。

 最後は誰かに何かをたくして、それで死ねれば私は満足だ。

 
 
 
 

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Posted by t@sora at 21:31│Comments(4)こだわり
この記事へのコメント
遺言として家族に伝えてある事は、私が死んだら海に散骨してと言ってある。墓はいらない。土の中の暗い場所はいやだとね。お参りは残されたものがどれだけのかかわりを私と持てたかだと思っている。だから義理や何かで縛るのは我が意にそぐわない。想い出として残るものが有るとするのなら、それだけで充分すぎると思っています。
何かの拍子に過去形で嗚呼そう言えばあいつあんな事言っていたな...こんな事していたな。そう思い出してくれればそれでいい。
通夜も告別式もましてやお経もいらないのです。「想い出の一日」と題してホテルの一室を借りて、この「私の日記ブログ」を置いておく。来たい人だけが好きな時間に来てくれたらそれで幸せ。BGMは、ジョン・コルトレーンの「アフリカ」をエンドレスでかけてもらおうかしらん。
Posted by 北の旅烏 at 2006年02月04日 15:13
私は通夜、告別式、葬式などして欲しくないと思っていましたが、異国の地で同士とも言える友人が自殺したときに考えが変わりました。
彼女の身内は離婚裁判中の夫だけなので、感情的なものがあるのでしょう、彼女の数億という遺産を手にしても通常の葬儀をせず、検察用の死体を入れるバッグに裸のまま焼かれて粉末の灰にされてしまいました。粉末の灰を見せられて、これが彼女ですよと言われても、納得できませんでした。
その時、葬儀とかは自分のためというより、残された人の為に行うものだと思いました。残された人が、その人の死を受け入れるのに必要なのです。
それから自分の場合の葬儀をどのようにするか、パートナーと機会あるごとに、『レンタル棺おけ(火葬する内側の木の棺おけのみ購入)を使う、花はひまわりで洋服はスーツで、親が生きている場合は日本に送って葬儀を二度する』など話しています。そのうち葬祭場に下見に行き、自分の葬儀についての指示を記録して葬儀屋に保管してもらつつもりで。
遺書と同じで、生きていないと出来ない事だから、これができるってありがたい。
Posted by ゲスト at 2006年02月05日 01:28
<北鳥さん
北鳥さんのblogは、どんな心境ではじめられて、どんな形で残そうとしていたかよく分っているつもりだったので、多分、墓前に置かれるだろうとは思ってました。
ジョン・コルトレーンの「アフリカ」ですか。通ですね(^^; グリーンスリーヴス、ブルース・マイナー・・・。もしかしてLP持ってたりして?
<ちびた母さん
なるほど、残された人のためにですか。生きていくものは、対面やしがらみがそれなりにありますからね。
ちなみにうちの家内は人がたくさん集まるのが怖いやつなんで、私の意見には大賛成なんです(^^;
Posted by ayappi at 2006年02月05日 08:34
実を言うと私も人が集まるところはダメで、子供が生まれてから人を相手にするのが苦手になり仕事も変えました。
う〜ん、体面やしがらみとか考えていませんでした。ただ、彼女が死んだという事実を確認できないままでいる事がつらくて、こういう思いを友人にさせたくないと思ったのです。
考えてみると、私の現在の生活は、しがらみや体面からだいぶ距離があるようです。
Posted by ゲスト at 2006年02月05日 11:47
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