2007年08月30日
エフェクト
ボーカルやギターなどでよく使われるエフェクト。実はこれも、発生の理由と今の使用方法は別である。燻製と一緒。冬野氏でちょっと思い出したから書いてみよう。
エフェクト。馴染みのあるのが空間系のエフェクト。リバーブやディレイね。本当は歌がへたな人のビブラートを補正したりするために作られたもの。まぁ、もとは脆弱な電気信号に、色々な機械的処方を施してこれらの音を作っていたのだが、めちゃくちゃに電気信号をつなげていると、偶然に色々な効果が生まれて、今ではそれが製品化されているのだ。ディストーションやオーバードライブなどのゆがみ系エフェクトも、実は違う効果を狙って試行錯誤しているうちに見つかったエフェクト。今ではエレキには欠かせないエフェクトとなっている。シンセにはクオンタィズという機能があり、これはずれている音程やリズムを、一番近い音程やリズムに修正するもの。これもエフェクトといえばエフェクト。
話を元に戻すけど、エフェクトというのは、へたくそを補正するためにあるものなんだ。それが今では別方向に向かっている。
ダイナミクス系エフェクトというものがある。コンプ・リミッターとかね。非常に地味なエフェクトだが、これの知識がないと、この業界ではやっていけない。少なくても音響では話にならないだろう。このエフェクトは音の粒をそろえるために使われる。
例えば、CDを聞いてると気がつくかもしれないが、一曲の中で、ささやく歌声と叫ぶそれとで音量が一緒なのが現代では常識となっている。これは、本来聞こえないほどのささやき声を大きくして、うるさいくらいの他の音を潰しているのだ。残念なことに、私達の耳は、このコンプ・リミッターで作られた音が好きになってしまっているから、生録音の音がおかしく聞こえるようになっている。不幸といえば不幸。特にクラシックでは、このエフェクトのかけ具合が難しい。クラシックは音量がすごく幅があるからだ。大きい音と小さい音の差が激しいって事。ちょっとかけ過ぎると、「ん?このCD、自分がコンサートで聞いたものと違うな?」ってことになる。
簡単に言えば偽物ってこと(笑)。でも、人はこの音に慣れてしまって、この音以外を不自然と思うような耳になってしまっているのだ。
だから、モーツァルトの聞こえていた世界と、現代の私達のそれはだいぶ違うんだよね。
今日はレスが少なそうな話題だ(^^;
エフェクト。馴染みのあるのが空間系のエフェクト。リバーブやディレイね。本当は歌がへたな人のビブラートを補正したりするために作られたもの。まぁ、もとは脆弱な電気信号に、色々な機械的処方を施してこれらの音を作っていたのだが、めちゃくちゃに電気信号をつなげていると、偶然に色々な効果が生まれて、今ではそれが製品化されているのだ。ディストーションやオーバードライブなどのゆがみ系エフェクトも、実は違う効果を狙って試行錯誤しているうちに見つかったエフェクト。今ではエレキには欠かせないエフェクトとなっている。シンセにはクオンタィズという機能があり、これはずれている音程やリズムを、一番近い音程やリズムに修正するもの。これもエフェクトといえばエフェクト。
話を元に戻すけど、エフェクトというのは、へたくそを補正するためにあるものなんだ。それが今では別方向に向かっている。
ダイナミクス系エフェクトというものがある。コンプ・リミッターとかね。非常に地味なエフェクトだが、これの知識がないと、この業界ではやっていけない。少なくても音響では話にならないだろう。このエフェクトは音の粒をそろえるために使われる。
例えば、CDを聞いてると気がつくかもしれないが、一曲の中で、ささやく歌声と叫ぶそれとで音量が一緒なのが現代では常識となっている。これは、本来聞こえないほどのささやき声を大きくして、うるさいくらいの他の音を潰しているのだ。残念なことに、私達の耳は、このコンプ・リミッターで作られた音が好きになってしまっているから、生録音の音がおかしく聞こえるようになっている。不幸といえば不幸。特にクラシックでは、このエフェクトのかけ具合が難しい。クラシックは音量がすごく幅があるからだ。大きい音と小さい音の差が激しいって事。ちょっとかけ過ぎると、「ん?このCD、自分がコンサートで聞いたものと違うな?」ってことになる。
簡単に言えば偽物ってこと(笑)。でも、人はこの音に慣れてしまって、この音以外を不自然と思うような耳になってしまっているのだ。
だから、モーツァルトの聞こえていた世界と、現代の私達のそれはだいぶ違うんだよね。
今日はレスが少なそうな話題だ(^^;
Posted by t@sora at 08:01│Comments(2)
│こだわり
この記事へのコメント
ayappi様
レスしますよぉ。
CDも含めてレコードにおける最大の問題は(クラシック聴きなので)ほんとうの音量がわからないという点につきます。
その上、おっしゃるようにエフェクトがありますね。
加工という意味よりも、補正というニュアンスでしょうか。
70年代から80年代くらいのレコード録音エンジニアリングがある種の最高潮に達した頃は、たとえば、ベートーベンの原譜どおりだとどうしてもバランスの悪い(現代の楽器で奏するため仕方ないので、コンサートでは楽器編成や楽譜をいじることで問題を克服していますが)ところを、この技術でみごとに補正したシリーズなんかもありました。
いちどライブで聴くと、レコードの音が調いすぎていることに驚かされるでしょうね。
昨今のピリオド楽器や奏法のブーム(というよりももはや復興、再発見)は、いわば、この「いじる」ことに対するアンチ・テーゼでもあります。
じっさい、ピリオド楽器や奏法でかなでられるモーツアルトの直線的な魅力は、ちょっとした「目からうろこ」ですよ。
ただし、どっちが正しいということではなく、そういう工夫や再発見をくりかえしては、面白いと感じることの愉しさが値打ちなのだと思ってます。
冬野
レスしますよぉ。
CDも含めてレコードにおける最大の問題は(クラシック聴きなので)ほんとうの音量がわからないという点につきます。
その上、おっしゃるようにエフェクトがありますね。
加工という意味よりも、補正というニュアンスでしょうか。
70年代から80年代くらいのレコード録音エンジニアリングがある種の最高潮に達した頃は、たとえば、ベートーベンの原譜どおりだとどうしてもバランスの悪い(現代の楽器で奏するため仕方ないので、コンサートでは楽器編成や楽譜をいじることで問題を克服していますが)ところを、この技術でみごとに補正したシリーズなんかもありました。
いちどライブで聴くと、レコードの音が調いすぎていることに驚かされるでしょうね。
昨今のピリオド楽器や奏法のブーム(というよりももはや復興、再発見)は、いわば、この「いじる」ことに対するアンチ・テーゼでもあります。
じっさい、ピリオド楽器や奏法でかなでられるモーツアルトの直線的な魅力は、ちょっとした「目からうろこ」ですよ。
ただし、どっちが正しいということではなく、そういう工夫や再発見をくりかえしては、面白いと感じることの愉しさが値打ちなのだと思ってます。
冬野
Posted by 冬野由記 at 2007年08月30日 21:30
このねたは、冬野さんと佐藤あさんとedosinさんがターゲットです(笑)。
秋葉原の電気街で、珍しいコンデンサーやら何やらをを見つけると、BOX作ってよく試したものです(^^; L-Rゴーストなんて、魔法の世界でしたよ。位相の関係でこんなことも出来たんですね。でも、耳って正直で飽きてくるんですよ。こういったごまかしは。
秋葉原の電気街で、珍しいコンデンサーやら何やらをを見つけると、BOX作ってよく試したものです(^^; L-Rゴーストなんて、魔法の世界でしたよ。位相の関係でこんなことも出来たんですね。でも、耳って正直で飽きてくるんですよ。こういったごまかしは。
Posted by ayappi at 2007年08月31日 07:59
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